hitorigusa’s blog

漢字で書くと『一人草』好きなことを書く。書き流す。

人間についての学問のレポート

 半沢直樹が面白すぎて日曜日が待ち遠しい一人草です。ギャグドラマだと思いながら見るととてつもない完成度です。個人的にはマンガ「グラップラー刃牙範馬刃牙、バキ道」といったバキシリーズを読んでるときと同じ感覚ですね。謎のワクワクを感じます。

 

さて、今回は人間についてのレポートです。 

 

「人間はこれまでどのように問題にされてきたか」2000字以内で述べよ。

 

いつの時代であっても人間は答えの見つからない真実に向かって問を投げ続けてきたことがわかる。宗教的な神もプラトンの説いたイデアの世界も本当の意味で見たり、体感したり人間はいないのである。しかし、これらの問題は人間という存在があるからこそ議論されている。私は「人間はこれまでどのように問題にされてきたか」に対して2つの大きなポイントがあると考えた。この問いに対して通年的に考察していく。

 まず1つ目のポイントはアウグスティヌス古代ギリシャ・ローマの文化とキリスト教を融合させたという場面である。アウグスティヌスが存命のときに起こった大きな問題は392年のローマ帝国におけるキリスト教の国教化である。大きなポイントである理由は約1500年以上たった時代にもこの思想の面影が残っているからである。資料にあるカント『論理講義』(1800)には「第一の問いに答えるには形而上学であり、第二の問いには道徳、第三の問いには宗教、そして第四の問いには人間学。」と書かれてある。アウグスティヌスとカントの時代の間にはヒューマニズムや科学の発達があったものの宗教が人間を考える上で切っても切れない関係になったのは確実である。哲学的な思想と宗教的思想は違うと考える。哲学は「私」が存在するうえで物事を考えることである。例えば資料にあるソクラテスの「善とは、美とは、人間にとって「最も大切なもの」は何か問う」という内容の言葉がある。人間が真理を追究すること、人間の在り方を考えることは人間らしい行為だということになる。宗教は「崇拝する対象」が存在するうえで物事を考える。どうしても人間は受け身になってしまう。資料の4.理性と信仰(1)には「中世カトリックの人間の理想的な生き方は、現世的な人間にではなく、「神の国」に生きる人間のうちにある。」とある。まるで人間を物語の一部のようにとらえようとしている。古代ギリシア時代は人間というものを表面的にとらえるのではなく国や社会の一部としていったい何が正しいのかを考えてきた。これは人間が最も知性を働かせる行為かもしれない。しかし、人間の考え方は人それぞれであり派閥のようなものが起きやすかったのではないか。そこでアウグスティヌスは中世カトリックではキリスト教を思想の頂点とすることにより信仰内容を理解しようとすることが重要だと説いた。このようにすれば社会は安定した考えを持つだろう。これは日本でも仏教で国を治めようとした時代もあったため非常に効果的なものであろう。前8世紀に都市国家ができて以来の人間に思考の統一性を持たせたことは大きなターニングポイントである。また、「哲学と宗教」「理性と信仰」を説いたアウグスティヌスは人間の思想を豊かにした人物であろう。

 2つ目はダーウィンの進化論である。資料には18世紀は徹底した合理主義、理性主義の時代とある。また、「宗教が道徳化され、個人の信仰、良心の自由が主張される。」「自然科学が学問の模範とされる。」とある。これは科学に対する意識が芽生えてきたというようにも捉えられる。同時に人間が法や制度により今まで以上にしっかりとした社会基盤を手に入れたとも理性の発達の面では大きいだろう。これは日本でも同じで17世紀から19世紀に中盤までの江戸時代のような長きにわたる安定した時代は人間が作っていくものというのを決定づけているのではないか。特に資料にある19世紀後半から20世紀初頭の「進化と社会ダーウィニズム」は社会という言葉を使い人間を問題にしている。また、「倫理」「道徳」という言葉も使い説明している。自然界の中でも社会的に高度に発達したものが人間だとなる。人間が自然界の一部ということが前提にあることはコミュニティの形成こそが社会として発達する第一歩となる。特に道徳、倫理観は宗教が大きな柱であると考える。世界的に考えても宗教を全く持たない人は少なく、特定の宗教を崇拝する国も少なくない。こうすべきという教えを守ることにより道徳や倫理が生まれたのではないだろうか。そして、人間が自然の一部であることを自覚させたこの考えは社会形成と合理的考えの形成をより飛躍させたものある。

 2つのテーマをポイントにして考えてきた。人間は新たな価値観、考えが生まれたときに問題にされてきた。そのたびに思考的、社会的な部分がアップデートされてきたのである。人間とは社会の中で成長する生き物であるということを意識付けられるものだった。

 

補足(感想、今の考え、反省点など)

未だにね。ギリギリにならないとできない性格が抜けなく困っています。あとこの時は用事があっていて提出期間は大丈夫でしたが、その予定時間ににどう間に合わせるかを考えてました。

時間がなくて今回は感染症という観点も入れようのしましたが字数的に難しかったので書きませんでした。大学から渡された資料には感染症などの記載はありませんでしたが(主に哲学、宗教、教育などがあった)どう問題にされてきたかという面で感染症は人類に大きな影響を与えた出来事でもあります。(万有引力を発見したニュートンはペストで大学が休校期間中に発見した。)

またここで気づいたことは哲学と宗教は根本的に違うということです。実際にレポートにも書きましたが、人間を中心に問題にしてきたか神を中心に問題にしてきたかということに気づき新鮮な感じがしました。というのもここまで深く考えたことがなかったので。

2つ目にダーウィンの進化論と書きましたが大雑把に言うと合理主義という土台が形成された上で生物としての人間が問題にされているよね。そう言えば道徳や倫理の形成には宗教って便利な教材だよね。ってことが言いたいだけでした。

ちなみにメモ書きはこんな感じです。ここ書いたことはほとんど書いていませんでしたが笑

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今回はこんな感じです。哲学とか宗教は思想として面白いなぁと思えました。もうちょっと調べようと思います。

 

 

では。

 

 


カネコアヤノ - 愛のままを